2017/10/31(Tue)
JR浜松駅
台風が過ぎ去ったあと、風邪の冷たさも一層増してきました
いよいよ浜松にも冬の足音が聞こえてきました
そんな冬にも水餃子が人気です!
が、なんと
裏技がありまして、
コショウ+酢
または
ラー油+酢
でカスタマイズすると、味の変化が楽しめます
よろしければおためしくだよろしければお試しください。
さて、小話です。(キタ~)
今回ご紹介するのは、家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れ、
一目散に逃げている時のエピソードの第2弾です
なんと!そのエピソードに我がJR浜松駅店のスタッフが関わっているのだそう
さて、前回も話しましたが、さんざんに武田軍に敗れた家康、
逃げている途中で、おなかが減り
(あれ?前回もおなかが減って小豆餅を食い逃げしそうになったんじゃ・・・)
店長!話が続かなくなりますから、ツッコまないっ!! スタッフ激怒
(はい!)
おなかが減った家康は、民家に逃げ込み、食べ物をお願いしました。
民家の主人は、たいそうなものはないが、お粥ならすぐに出せるといい、
家康にお粥をごちそうしました(ええ人や)
家康はそれを食べると、主人にお礼を述べて、また一目散に逃げ出しました
命からがら浜松城に帰った家康は、そののち民家を探し、
あの時のお粥のお礼にと、たくさんの褒美と家紋を与え、
同時に名字も与えました。
当時名字を与えられるというのは大変な褒美で、
身分も上がるというとても名誉なことでした。
それくらい家康は恩義には厚い人だったのかもしれません。
彼はずっと他家への人質として暮らしていましたから、
優しく接してくれた人にはとても寛大な一面もあります。
その家康はお粥をごちそうしてくれた主人に 『小粥』(おがい)
という名を与えました
小粥家に家紋を与え、その型は
小さい器に箸が一膳添えられたものになり後世まで続いております
現在浜松市の曳馬という地には小粥家の方々が多く存在し、代々庄屋などになりその地を守ったといわれています。
いいとこあるじゃん・・・家康
見習いなさいよ(スタッフ)
はんせいのまいにちだ
実は、我がJR浜松駅店のスタッフに、
その小粥という名字の方がいまして・・・
そう!なんと!!
その小粥家の方なのです!
何と笑顔の素晴らしい青年ではないですか!!
キッチンやホールにも出て活躍しておりますので、
見かけたら、お声をおかけください
浜松ならではのちょっといい話でした